ガルシン「信号」は実質逆シャア

ガルシン「紅い花」を読んだ。

紅い花 他四篇 (岩波文庫)

紅い花 他四篇 (岩波文庫)

同じ岩波文庫から出ている魯迅「阿Q正伝・狂人日記」の巻末解説にて、以下のようなガルシンの解説があり興味を持ったので手を付けてみた作品。

「狼は狼を食わぬが、人間は人間を食う」

この文句自体も「紅い花」に収録されている短編「信号」に登場する人物の台詞に依拠している。

で、どこらへんが逆シャアっぽいかというと一番の見せ所である「コロニー落としを止める」のに相当するシーンが出てくるところである。宇宙世紀でもなんでもないし舞台はロシアの片田舎なので、コロニーに相当するのは列車だが。

主人公のセミョーンと隣人のヴァシーリイは鉄道の線路番、つまりそれぞれの区間のレールのメンテナンスを生業としている。生活は貧しくその上官僚主義的な理不尽さにまみれている。実入りを良くしようと畑を作ろうものなら作物は根こそぎ引っこ抜かれそして殴られる。貧困にデッドロックされているかのようだ。

ある日、そんな生活にたまりかねたヴァシーリイは線路のレールを外してしまう。セミョーンが見るのはいつものように走り来る列車、すし詰めの乗客、いたいけなこどもたち、外れたレールの先は谷底。修理をしようにも道具がない。取りに戻る間でそれらの人々とともに列車は真っ逆さまだろう。

セミョーンは持っていたハンカチと枝で旗を作り列車を止めようとする。自身にナイフを突き立て溢れた血潮で染めた赤旗を、祈りながら線路の上で降るセミョーン。列車は止まらない。血を失いすぎてとうとう旗を手放す。

だが何者かが落ち行く旗をつかみ取り、高々と振り上げる。運転手がようやく気づき列車がとまる。血だらけの旗を持ったヴァシーリイは、降りてきた運転手に自首する。

あらすじは上記の通り。アクシズと列車とが、地球人類と列車の乗客とがここでは逆シャアのそれと呼応しているように思う。巨大で理不尽な官僚機構とそれに追い詰められた側がテロに走るというのも共通項だろう。

最後に示すメッセージはもちろん20世紀のSFと19世紀の文学とで異なってはいる。だが「"人間を食う人間"ではない人間像」に対する一筋の希望のようなものを、個別かつ具体的な苦しみとその相貌の中に見出しているように思う。