2020/12/20(日)

休日にしては比較的早い時間に寝たはずなのに、10:30頃まで寝てしまった。とはいっても、生活計を見ると寝付いたのは1:30頃。 ぼーっとしてるとiPad弄ってコンテンツ消費しているだけで休日が過ぎゆく。大変によろしくない。また、そう思ってしまうことが大変によろしくない。ダレるならダレる、何かをするなら何かをするとそう割り切れるようになれたら。 早めにシャワーを浴びてすっきりお出かけしたほうが頭は回る気がするけど、休日だからとダレている。なんとなくコロナでお外を回遊しづらいから、というのを言い訳にしておく。書籍は買いすぎてるからむしろ積ん読を減らさないとなので書店にも行きづらい。ぐるぐる回っているな。なんだかんだと洗濯物はやりきったのでよしとしておく。

遊牧民から見た世界史」がいまいち読み進められてない。午前中で飽きてしまった。

コンラッド「闇の奥」を読了した。何きっかけで読み始めたのか分からない。短かったが、マーロウの語りが飽きさせない流暢さで面白い。 「地獄の黙示録」のような筋書きを想像していたが、どちらかというと「ブラックホークダウン」に近いような、アフリカという未知に対する西洋人の恐れといったものを感じた。 河を遡るところはレフン監督「ヴァルハラライジング」やヘルツォーク監督「フィッツカラルド」の雰囲気があった。蒸気船?というぐらいだから後者の方が船のイメージは近いのだろうけれど。

闇の奥 (光文社古典新訳文庫)

闇の奥 (光文社古典新訳文庫)

夜は7 Day to Dieを4時間ぐらいマルチプレイでやっていた。始めて7日間目を乗り越えた気がする。 いまだシングルプレイでここまで時間経過したことないけど、時間設定が遅かったりするんだろうか。 一人ではパニックにばって投げ出してしまいそうだ。ホラーゲームは人とやるのが良い。 F.E.A.R.もそうだけどとてもやりきれなさそう。

カミュ「反抗的人間」を読んだ

古本屋巡りしてたらカミュ全集セット5000円という素晴らしいもの販売しているのを見つけてしまったので即買い。 第6巻である「反抗的人間」から読み始めた。

カミュ全集〈6〉反抗的人間 (1973年)

カミュ全集〈6〉反抗的人間 (1973年)

ぶっちゃけヘーゲルおじさんとマルクスおじさんをベースにしたあたりは、ここいらの素養が無くてあまり頭に入ってこなかった。「シジフォスの神話」の続きとして政治・社会領域までその論理を発展させたのが本書らしいので、それらなしに読むのが悪いのだが。

カミュの魅力はやはり諾と否に引き裂かれそうになりつつもそれの身と目を強かにしなやかに捉え続ける思想の健全さにこそあるということを確認できた。 ニヒリズムでもなく革命でもなくその間の緊張した状態である「反抗」、その現れとは何なのか未だ分からないことだらけだがその思想の口当たりの良さが「ペスト」や「シジフォスの 神話」や「異邦人」などの魅力だと思うので改めて掘り返したい作品だった。

具体的には作品中にカリャーエフのくだりが出てきたが「正義の人々」をまた読んだあとで出直してきたい。

ガルシン「信号」は実質逆シャア

ガルシン「紅い花」を読んだ。

紅い花 他四篇 (岩波文庫)

紅い花 他四篇 (岩波文庫)

同じ岩波文庫から出ている魯迅「阿Q正伝・狂人日記」の巻末解説にて、以下のようなガルシンの解説があり興味を持ったので手を付けてみた作品。

「狼は狼を食わぬが、人間は人間を食う」

この文句自体も「紅い花」に収録されている短編「信号」に登場する人物の台詞に依拠している。

で、どこらへんが逆シャアっぽいかというと一番の見せ所である「コロニー落としを止める」のに相当するシーンが出てくるところである。宇宙世紀でもなんでもないし舞台はロシアの片田舎なので、コロニーに相当するのは列車だが。

主人公のセミョーンと隣人のヴァシーリイは鉄道の線路番、つまりそれぞれの区間のレールのメンテナンスを生業としている。生活は貧しくその上官僚主義的な理不尽さにまみれている。実入りを良くしようと畑を作ろうものなら作物は根こそぎ引っこ抜かれそして殴られる。貧困にデッドロックされているかのようだ。

ある日、そんな生活にたまりかねたヴァシーリイは線路のレールを外してしまう。セミョーンが見るのはいつものように走り来る列車、すし詰めの乗客、いたいけなこどもたち、外れたレールの先は谷底。修理をしようにも道具がない。取りに戻る間でそれらの人々とともに列車は真っ逆さまだろう。

セミョーンは持っていたハンカチと枝で旗を作り列車を止めようとする。自身にナイフを突き立て溢れた血潮で染めた赤旗を、祈りながら線路の上で降るセミョーン。列車は止まらない。血を失いすぎてとうとう旗を手放す。

だが何者かが落ち行く旗をつかみ取り、高々と振り上げる。運転手がようやく気づき列車がとまる。血だらけの旗を持ったヴァシーリイは、降りてきた運転手に自首する。

あらすじは上記の通り。アクシズと列車とが、地球人類と列車の乗客とがここでは逆シャアのそれと呼応しているように思う。巨大で理不尽な官僚機構とそれに追い詰められた側がテロに走るというのも共通項だろう。

最後に示すメッセージはもちろん20世紀のSFと19世紀の文学とで異なってはいる。だが「"人間を食う人間"ではない人間像」に対する一筋の希望のようなものを、個別かつ具体的な苦しみとその相貌の中に見出しているように思う。

anesthesia

最近のココロを抉る作品ってなんだろうと考えていたたときに思いついたのでメモ。

自分あるいは誰かの年齢が増す度に、そしてそれが30歳という一つの区切りに関わる場合、流したい音楽として「anesthesia」がある。

「anesthesia」(意味は"無感覚"とか"麻痺")は、「而立〜さよなら20代〜」という同人CDに収録された曲である。 "さよなら20代製作委員会"とあるように、このCDには30歳となり而立しようとしているアーティストがそのことを題材として書いた曲が収録されている。歌は茶太さん。それぞれのアーティストが各局の作曲を手がける。

goodbye-twenties.com 1000円でダウンロード版が買える。

個性的な曲のラインナップの中でもZTS氏作曲の「anesthesia」が個人的にお気に入りだ。 何かのクロスフェードデエモで聞いて一発で惚れ込んでしまった。 残念ながらC77の時は気づいていなかったので物理媒体は手に入らず仕舞い。だが、ダウンロード版が出てからというもの自分の手持ち曲の中で不動の1位を保ち続けている。

聴く度に違ったふうにココロが抉られ、そして取り繕われていく。 30歳に近づくまでの毎年、30歳になる前日、30歳になった当日、翌日、 そしてさらに1年が経って31歳になった日。 それぞれの自分がそれぞれ違ったエピソードとともにこの曲を聴いていく。 最近はだんだんと「そうして痛みは消えてゆく」あるいは痛みを味わっていくというあたりに力点が置かれている気がする。

このCDが出たのはC77 2009/12/30の冬コミだった。 而立というのは大きな転機だと、過ぎ去った直後の自分は思う。 しかし而立のあとにも人生は続く。その途上には不惑もある。 はたしてC77の10年後、C97では続く作品が作られるのだろうか? 密やかな期待とともに待ちたいと思う。